どいまのチラうら

140字に収まらないチラ裏

屍者の帝国:映画版感想

3ヶ月連続公開のはずが虐殺器官が2016年公開になってしまったので、2か月連続になってしまったProject-Itohですが、この2作の感想をだらだらと書き連ねようと思います。

 

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原作は言わずもがな、伊藤計劃によって遺されたプロローグとプロットをベースに円城塔が書き上げたもの。

どこまでプロットがあったのかはわかりませんが、今までの作品にあった「伊藤計劃的なもの」をベースに、比較的派手な表現を多く使ったものでした。

原作から感じた「伊藤計劃なもの」とは、

  • 世界を横断的に移動して進行する物語
  • 人間の脳の働きを「SF的に」考察したテーマ

かなぁと思いました。僕は円城塔の他の作品は未読なので、どこからどこまでが伊藤計劃で、どこまでが円城塔かを察することは、伊藤計劃成分を引き出すことでしかわからないのですが。

 

そして原作はそれを軸に、19世紀後半の実在の人物+フィクションの人物をこれでもかと登場させたもの。元ネタが存在しない登場人物はほぼいないんじゃないか、ってレベルです。

主人公のワトソンはもちろんホームズで有名なワトソンだし、ワトソンに同行するバーナビー大尉もその破天荒な経歴も合わせて実在の人物。ワトソンに協力するハダリーは未来のイブのハダリー(イノセンスガイノイドの元ネタ!)だし。

この超豪華出演陣に加え、スチームパンク的な世界観に中二的な演出(クライマックスでのパイプオルガンの連弾とかね)ときたら、淡々と進む伊藤計劃作品とは一線を画したエンタメ作品ですよ。

 

というわけで映画も基本的にはエンタメ路線でした。

ただし、後半はかなりのストーリー改変が入っており、登場人物も黒幕も動機も原作とは異なっていたので頭が混乱してしまい、整理のために二度見するという有様。

 

ストーリー改変の根本的な部分は、ただの「支給品」であったフライデーが、ワトソンの友人という濃厚なホモシーンを想起させるというもの。確かにこれにより、ワトソンがフライデーの魂を取り戻すために「ヴィクターの手記」を追うという筋の通ったストーリーになったなぁと。

原作のエンディングでフライデーの一人称による語りが入るのですが、これは円城塔伊藤計劃に対して送るメッセージだと僕は捉えていて、物語の書記であったフライデー=円城塔と、物語の進行役であるワトソン=伊藤計劃という関係性を想起させられました。現実の「屍者」と「生者」を逆転させるところも含みつつ。この関係性は円城塔伊藤計劃に対する思いも関わっていると思うので、ある種必然的な改変ではあったと思いました。ここはよかった。

ただ、Mがただの悪役になってしまったのは残念だし、(原作のMとヘルシングの役割を合わせているが、ヘルシングってキャラクター性から不死者であるザ・ワンとの対立を想起させやすいけどMはちょっとそれが薄いよねと)それに伴う後半の駆け足っぷりはおいおいって感じにはなりました。ザ・ワンが実は進化論のあの人だった!っていう話もなかったしね。原作未読の人はなんでフランケンシュタインが緑色の怪物じゃなくてジジィなんだ?って思うかも。

 

映像的には、アフガン旅行のシーンがBGMも含めてすごく良かったです。池頼広は全然好きじゃないんだけど、このシーンは非常に印象的に見せているなぁと思いました。

あと映画にしかないシーンだけど、下水道でのフライデーとワトソンの濃厚なホモシーンも良かったです。こう言う改変だったら全然歓迎。

映画だけあって、絵のクオリティはもう否定する要素はございません。

 

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エンディングのDoorと、そこにかぶさる語り(原作のエンディングに相当)含めて、後半のワチャワチャっぷりを除けば非常に良い作品でした。

いろいろな意見はあるかもしれませんが、伊藤計劃の想定からおそらくある程度は外れているであろう円城塔の作品からさらに先に進めた、メタ屍者の帝国として、ひとつのエンタメとして捉えるといいのかもしれませんね。

 

さぁ、次はハーモニーだ!!